【霊学の勉強記録】ルドルフ・シュタイナー,霊的器官開発のための初歩的、修行方法 まとめ。

ルドルフ・シュタイナー

まえがき

こんばんは、みことです。

この記事はルドルフ・シュタイナー『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』に記述されている「行」→霊的器官開発の修行方法 を少しずつまとめてみようという試みです。

 

シュタイナー初心者の方は、おそらく この本を読むのに挑戦されても、情報密度が高すぎて、修行方法の部分のみを拾い読みするのは難しいと思われますので、修行の実践に入るまでに時間がかかりまくり大変な思いをされると思います。

なので、せめて、簡単にこういう修行方法が書かれていますよという、とっかかりをみことのほうで作らせてもらおうと思います!

より詳しく、はやく、修行方法を知りたい方は是非是非 本をお手に取ってみてくださいね♪

では、いきます!

霊的器官開発の条件となる修行

畏敬の修行

神秘を学ぶ人に、まずなくてはならないもの、それが真理と認識への畏敬だとシュタイナーは言います。

偉大な真理、崇高な認識をかしこまって敬うこと、畏敬の念を基礎的な傾向として持つ人だけが神秘を学べると。

超感覚的認識を求める人は、まず、日常生活の中で、畏敬の感情をはぐくむこと。

ほめたたえられるものや、心からあがめ敬えるものを、自分が体験したことや、周囲のいたるところに探し求めること。

そして、自分の魂を畏敬の感情で満たすこと。

これが感情面での畏敬の修行です。

魂の中に育てられたすべての真の畏敬は、認識の道を速くすすむ力を育ててくれるとのことです。

次に思考面での畏敬の育成です。

思想生活、日々の思考の中に、畏敬の思考内容を育てること。

自分の中の、軽蔑や批判の思考に気づいたら、賛美、敬意、尊敬といった考えで上書きし、畏敬のある考えで満たすこと。世界や人生や人などが対象になるでしょう。

畏敬の念は、魂の中に共感作用を呼び起こします。その共感作用によって、対象の秘密が明らかにされていくようです。

シュタイナーは、高度の修行(オーラを見たりチャクラを開発したり等)をする以前に、畏敬の修行を精力的に修めておかなければ、その段階に至ることはそもそも不可能だと話しています。

そのくらい大事な修行なんですね。

内的生活の開発の修行

畏敬の修行によって呼び起こされた能力(おそらく共感作用のこと)は、ある別の種類の感情が結びつくことで、よりいっそう活発になるとのことです。

そのためには、まず内面生活を充実させるようにとシュタイナーは言います。

外界との関係を豊かなものにするために、自身の感情や表象を大切に育てる必要があります。

外界における万象のことごとくが壮麗な神性の輝きに充たされている。しかしこの輝きを体験するには、まず自分の魂の中に神性を見出さねばならない。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかp33

よって、ひっそりと、孤独に、自身の内面に向き合う時間を、生活の中に作ります

自分の体験したことや、外の世界(自然や動物、人の行為等)が開示してくれたことの余韻を、深い孤独の静かな時の中で、思い出として響かせるようにと、シュタイナーは言います。

この修行の時間、楽しむことは、大切です。

しかし、楽しみつくそうとする態度は危険です。

楽しむことを中断し、その思い出の余韻の中から、何か、世界の役に立つ、学びを得ようと「消化」する作業をするようにとシュタイナーは言います。

・・・誘惑は大きいと思いますが、皆さん、頑張っていきましょう!

 

内的平静の修行

内的平静の修行は、内的に平静な時間を作り、その時間の中で、本質的なことと非本質的なことを区別することを学ぶ修行です。

毎日五分間程度で大丈夫だそうです。

この修行の時間中、喜びや悲しみ、心配してること、様々な経験、行動等を自分の魂の舞台に登場させます。

そして、体験するすべてを客観的な観点から見るように心掛けるようにと、シュタイナーは言います。自身の経験や行動を、他人の経験や行動であるかのように見る修行です。

自分を客観的にみることが可能になれば、魂の舞台に登場させたことが、本質的なものと、非本質的なものとに分離されると、シュタイナーは言います。

この修行を正しく行えていれば、日々の課題のための充実した力が得られるそうです。

※昔に体験したことで、内的平静をもって、自分を客観的にみる修行をするといいそうです。

この修行は、観察される内容よりも、内的な平静さによって開発されるある力が、自身のうちに見出せるかが大切なようです。

その力とは、安らぎと落ち着きです。

シュタイナーは言います。すべての人間は日常的な人間のほかに、高次の人間を内に有している。しかし高次の人間は、目覚めさせない限り隠れたままであると。

シュタイナーは内的平静の修行の時間を、「高次の生活」と表現しています。

この修行を続けるうち、高次の生活が日常の生活にまでいい影響を与え始めるといいます。

究極的には何があっても取り乱さなくなったり、自分を臆病にしてきた思考などが克服されたり。

詳しく知りたい方は、ぜひ本を読んでくださいね♪

安らぎと落ち着きの作用は人間の存在の核心にまで及び、内なる人間が成長してゆく。

高次の人間の進化が合法則的に生じるためには、安らぎと落ち着きが必須。

内的平静の修行で高次の人間を目覚めさせたら、高次の人間は「内なる支配者」となるとシュタイナーは言います。

外的人間が主導性をもつ限り、「内なる」人間は外なる人間の奴隷でしかなく、それ故自分の力を発揮することができない。(略)自分の内部の力を開発して、外界の印象を自分の定めた仕方で自分に作用させるとき、はじめて私は神秘学徒であるといえる。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかp45

内的平静の修行も続けるうちに、レベルがより高度な領域へ及んでいくようですが、みことがまだ未熟者なので、今回の記事はここまでにします。知りたい方は、本を‥・!←しつこい。

瞑想,メディテーション(静観的思索)

内的平静の修行と地続きとなっている修行です。

内的平静の修行で、その時間に修行者は内部の声に耳を傾けます。

これはいわば修行者は内部で霊界との交わりを育てているのだそうです。

内部における静観とシュタイナーは表現しています。

シュタイナーは、隠れた本性たちも人間の思考内容を通して語りかけていると、記述しています。

では瞑想の修行について知っていきましょう♪

霊学は思考内容の中に魂の力を結集させることによって次第に魂が霊的本性の中を生きるようになっていく、この認識の行を瞑想ーメディテーションー(静観的思索)と名づけている。瞑想こそが超感覚的認識の手段なのである。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかp48

~瞑想のやり方~

まず思考内容を明瞭かつ正確に、曖昧な部分が無いように形成する。そのためには、霊的認識上の先達たちが瞑想を通して獲得した、彼らの思考内容の中に沈潜するのがいい。つまり霊学的な本を使うとよい。本の中に瞑想のための優れた素材があるとシュタイナーは言います。

※具体的な著作名はあがってなかったので、シュタイナーの本でいいと思います。

※静かな思考作業や瞑想には、生き生きとした感情を結び付けて行うよう努めてみてください。

霊界が思考世界に注ぎ込むものを愛するようにとシュタイナーは言っています。

このあたりも意識して瞑想に励みましょう♪

シュタイナーは、瞑想によって、人間は、現実について新しい観念をもつようになるといいます。

あらゆる事物に真価が見出せるようになると。

そして瞑想を通して、自身の内部に永遠に存在し続けるものを、体得するとも。

楽しみですね♪

初歩的と書きましたが、上記の修行達は他の修行を進めていくうえでの、基礎、土台となりますので、充分すぎるほど行うとよいと思われます。

修行を深めてゆけば深めてゆくほど、基礎的修行の奥深さがわかります。痛感です。

では続いて・・・

「準備」の段階での修行

霊的修行には3段階あるとシュタイナーは言います。

準備。霊的感覚の開発。

開悟。霊光を点じる。

霊界参入。高次の霊的存在との交流が可能に。

※上記3段階を厳密に絶対に1,2,3,と進んでいく必要は、必ずしもないそうです。

今回は、準備の段階での修行までを簡単にお伝えさせていただきます。

準備の段階では感情と思考とを特定の仕方で育成します。

2つの生命の相に集中・沈潜する修行

この修行では、植物の2つの生命の相に注意力を集中させます。

植物の発生、成長、繁栄する相

植物が衰微、凋落、死滅する相

この2つの生命の相はいたるところに並存しており、人間の感情と思考を誘発するきっかけをなしている。しかし、人は十分にこの感情と思考の動きに注意してはいないと、シュタイナーは語ります。

そこで、準備の段階で、意識的に2つの生命の相に注意力を集中します。

植物を観察し、その相から受ける印象に没頭する。

その後に(内的平静を保ちながら)魂のうちに現れてくる感情と思考に没頭する。

この行を続け、特定の時点に到ると、新しい感情と思考が現れてくるのを体験するとシュタイナーは言います。

①の相にくりかえして注意力を向ける修行者は、日の出を仰ぐ時とやや似た何かを感じ取り、

②の相にくりかえして注意力を向ける修行者は、月が上ってくるのを見る時とやや似た体験を得るとシュタイナーはいいます。

この修行を進めると、魂界(アストラル界)が修行者の眼前に姿を現してくるとシュタイナーは語ります。

この二つの相は、やがて、霊的な線や形象になる、とシュタイナーは言います。

この線や形象は、観察対象(咲き誇る花、成長期の動物、枯れかけた樹木etc)の在り方によって、違った姿、形を示すとのこと。

同一の霊的段階に立つ二人の神秘学徒は同じ事象に対して常に同じ線や形象を見るであろう。正常な視力をもつ二人の人間が丸いテーブルを丸いと見、一方が円を、他方が四角を見ることがないのとまったく同じ確かさで、咲き誇る花を見る二人の魂の前には、常に同一の霊的形姿が現れる。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかp58

神秘学者は、観察対象の種類に応じた霊的形姿を、正確に記述したり素描することができるそうです。

その域目指してみことは頑張ります。

注意点※修行者は線や形象が、何を意味しているか、考えることに終始してはならないとのこと。

むしろ自身の感情に身をゆだねるようにと、シュタイナーは助言します。

事物が何を意味するかを思弁的な悟性の力で決定しようとしてはならない。事物そのものに語らせねばならない。いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかp59

(高次の諸世界での位置確認)

※これは修行なのか不明ですが、大事なので書いておきます。

霊界で方位を正しく定めるには、感情や思考が感覚界での机や椅子とまったく同じ現実的な事実なのだという意識を身につけなければならない。魂や霊の世界での感情、思考は物質界での感覚的事物と同じように、相互に作用しあっている。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかp59

よって、自身の思考と感情に対して、注意深さを持つようにと、シュタイナーは言います。

物質界において、壁に直面した時、まっすぐに通過せず迂回するように(物質界の法則に従うように)

、感情界や思考界にもこれに似た法則が存在するとのこと。

この法則は、人に対して外側からは働きかけてこない。そのため、どんな時にも不適切な思考や感情を抱くことを己に禁じる。そうすると、自分の魂の営みからこの法則が流れてくると、シュタイナーは言います。

すべての勝手気ままな思いつき、不真面目な空想、気まぐれな気分や感情、これらを修行の時は抑制する。そうすることで、豊かな情感と、真に創造的なファンタジーが目覚めてくるとシュタイナーは言います。

このような感情と思考が、霊界における自分の位置を確認させる、きっかけをあたえてくれるそうです。

心情,ゲミュートの修行

音を対象にした、修行です。

無生物によって生じる音(落下するもの、鐘、楽器etc)と生物の発する音、声(人間、動物etc)とを区別します。

修行者はまず、生物の発する音を対象に修行を行います

鐘の響きを聞くとき、それと結びついて快さの感情も同時に生じる。けものの叫びを聞くときは響きから受けとるこのような快さの感情以外に、その動物の内なる快や苦の現れをも感知する。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかp61

修行者は、音が、自分自身の魂の外に在る何かを告げている、という点に注意力の全てを集中させます。この自分とは異質なもののなかに沈潜します

その音が自分にとって、好ましいとか、好ましくないとか、そういった域を超えて、音を発する存在の中で営まれているものだけが、修行者の魂を満たす域にまで至るように、とシュタイナーは指導します。

この修行を続ける人は、音を発する存在の内面と、いわば融合する能力を獲得するとシュタイナーは言います。

神秘学徒は全自然を上記のような仕方で感得するすべを学ぶようにとのことです。

この修行を通して、感情と思考の世界の中にて、全自然がその響きを通して人間に秘密をささやき始めます。

この修行を進めていくならば、音、響きは、自然の意味深い言語となります。

無生物の発する単なる雑音だったものでさえ、魂の新しい言語の語らいとなります。

感情の育成をどこまでも進めていくのなら、修行者は魂で聞き始めます

ちなみに、みことは飼い猫でこの修行を実践しています(^^♪

傾聴の修行

心情の修行に加えて傾聴の修行もおこなうことで、音の分野での到達しうる頂点を極められます。

傾聴の修行・・・他者の語る言葉に耳を傾ける修行です。そのためには、自分の中の声を完全に沈黙させるクセをつける必要があります。賛成の声も、反対の声もです。

※常時ではなく、自分で立てた修行の予定の時間だけこの修行を実践すればいいとシュタイナーは言っています。

そうすれば時と共に、自然に傾聴の態度が身につくそうです。

神秘学徒は一定の期間、自分とは正反対の思想に耳を傾け、自分の内部の一切の賛成、特に一切の否定的判断を完全に沈黙させる行を自分に課す。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかp63

とくに子どもに対して傾聴の態度で接することは誰にとっても有益だとシュタイナーは言います。

他者の語る言葉を、没我的に聞く修行を重ねていくことで、やがて、次第に相手の本質的部分と融合し、同化することができるようになるそうです。

傾聴の行為を通して、相手の魂の中へ自己を移しいれる。

こういった修行を積むことで、音ははじめて魂と霊を知覚する正しい手段となるとシュタイナーは告げます。

傾聴の行が、心情の行と結び付く時、新しい聴覚が生じます

耳には聞こえず、物質的な音では表せない霊界からの知らせが聴けるようになると、シュタイナーは言います。

シュタイナーは「内なる語りかけ」と表現しています。

すべて高次の真実はこのような「内なる語りかけ」を通して獲得される。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかp64

研究の修行

内なる語りかけが聞けないうちは、神秘学の書物の研究を行うことをシュタイナーは強く推しています。

このような書物を読むこと、神秘学者の教えを聞くことは、そのことだけでもこのような高次の認識への参入のために有効な手段となるのである。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかp64

神秘学の教義は生きた「内なる語りかけ」からくみ取られたものであり、それ自身が霊的生命を有しているとシュタイナーは力説します。

この教義は単なる言葉ではない。それは生きた力である。

いかにして超感覚的世界の認識を獲得するかp65

よって、この記事で述べてきたすべての修行には、(神秘学者たちが伝えてきた)思想内容についての熱心な研究が必要条件とされるとシュタイナーは言います。

霊的書物を読むとき、その行為は、あなたの霊眼を開かせる力となって、あなたの魂に作用します

皆さん、そういうわけでシュタイナーさんの本を読みましょう♪

おわりに

いかがでしたでしょうか?以上が条件と「準備」段階での霊的修行方法まとめとなります。

分かりやすくまとめられたかは、いささか疑問ですが、とっかかりとしてこの記事をお使いいただければ幸いです♪

この記事でシュタイナーさんに興味をお持ちいただき、そして本をお手に取っていただけたら嬉しく思います。

記事を読んでいただきありがとうございます。

ではまたどこかで♪

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